生きづらさに何年も苦しんでいる人は、努力の方向が間違っています。
1,自分のやり方に固執する
うまくいっている人のアドバイスや、教わったり学んだりしたことを、自分の勝手な判断で「これはやらない」「これは私には役に立たない」とフィルターをかけ、本当に大事なことを結局『やらない』という状態になっていませんか?
私たちはつい、自分に都合のいいことばかりを拡大解釈し、大変そうなことややりたくないことは過小評価して「大したことじゃない」と思いがちです。
これは自分の気持ちに基づいた判断であり、「これまでの自分のやり方を変えたくない!」という気持ちが、変化に抵抗している状態ともいえます。
しかしただ学んだつもりになって、現状を変えるために『必要なことをやらない』のなら、現状はきっとこの先も変わらないでしょう。
自己判断でここまできて、それでも現状が良くなかったのであれば、その自己判断が間違っていたとまず現状を認めるところからがスタートです。
これまでの自分のやり方が間違っていたと認めても、あなた自身の価値が否定されたわけではないのです。
→自分のやり方に固執することに、努力のエネルギーを使っている
2、自分を気遣ってくれる人をないがしろにする
自分のことを気遣ってくれる人に対しては雑な態度を取る一方で、自分のことを雑に扱ってくる人に対しては過剰なほど気を使ったりしていませんか?
自分が『嫌な思いを避ける』ことにばかり意識が向いているために、周りの人の気持ちに目が向かなくなっている状態です。
ないものねだりをしているうちは、ありのままの自分を受け入れることができません。
まずは自分を想ってくれる人や、今あるものを大切にしましょう。
ただ「ありがとう」という言葉ですませるのではなく、相手に対して誠実な態度で接すること。
自分を気遣ってくれる人を大切にすると、ポジティブなサイクルが回り始めます。
→嫌なことを避けることにばかり、努力のエネルギーを使っている
3、悲劇のヒロイン思考に陥っている
自分を卑下しているようにみえる言葉を頭の中で繰り返していませんか?
実はこういう人は、悲劇のヒロイン思考に陥ってしまっているのかもしれません。
「私は不幸だから(元々こうだから)、これができない」と、自分の言葉で自己暗示をかけることで、「(だから)やっても仕方ない=やらなくていいんだ」という言い訳にしてしまいます。
自分ではなく、他人が動いてくれることで現状が変わるのを期待しているのです。
悲劇のヒロインは自分の無力さを嘆くばかりで、大きな行動は起こしません。
自分の世界に浸っているので、周りからのアドバイスも届きません。
届く声といえば、悲劇のヒロインであり続けることを肯定してくれる無責任でやさしい声だけ。
だからいつまでも悲劇のヒロインでい続けることになってしまうのです。
もう時代遅れの悲劇のヒロインは卒業して、自分を救い出すヒーローになりませんか?
→現状を嘆くことにばかり、努力のエネルギーを使っている
「自分なりに努力しているのに良くならない」という言葉をよく聞きますが、厳しい言い方をするのなら「自分なり(の方向)にしか努力していない」から現状が良くならないのです。
そもそも、自分がやりたいこと・楽にできることだけを選んでやっているなら、それは努力とはいいませんよね…
ヒーロー思考で、いつも自分を気遣ってくれる相手を大切にし、自分の人生を豊かにするための『やるべきこと』を素直にやる。
そういう人の人生が、不幸であるわけがないのです。
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