自己肯定感回復の過程で起こること

更新日:3月17日

自己肯定感の低い人は(たとえ自信満々な振る舞いに見えていたとしても)いつもどこかで「自分だけが損をしている、自己犠牲を払わされている」という被害者意識に縛られているものです。


この人たちはアダルトチルドレンであることが多く、(無意識にでも)自己犠牲を払って『幼稚で傲慢な親』に搾取され続けてきたという経験を持っていたりします。



そんな人たちがカウンセリングによって「もう自分はあの頃の無力な子供ではない、自己犠牲的に生きなくていいんだ…」と気づいたあとにムクムクと顔を出すもの、それが『子供のような傲慢さ』です。



両極を経験して『他者とのちょうどいい関わり方』を身につける

私たちは子供時代に【挑戦し→失敗し→うまくやる方法を考える】というサイクルを経て、心を成長させていきます。


対人関係においても、身近な人との関わりの中で『自己犠牲』と『自分勝手』の間にある『あなたも私もOK』というバランスポイントを手探りでみつけていくのです。

自分勝手なことをして親に怒られたり、友達のために自分を犠牲にして傷ついたなどの経験はありませんか?

こうした両極の経験を通して私たちは『他者とのちょうどいい関わり方』を学んでいます。


これはまた仏教でいうところの『中道の精神』とよばれるもので、心の成熟のためにはとても重要なものと言えるでしょう。



自己犠牲の裏に潜む傲慢さ

しかし、傲慢な親に搾取されるしかなかった人たちは、子供時代に「自己犠牲」以外の接し方を学んでいません。


さらに傲慢な親を見ているので、いつも目の前の相手と自分を比べ「上にいる人間は傲慢に振る舞ってよい、下の人間は自己犠牲を払うのが当然」という暗黙のルールも根強く植え付けられています。

ですからこういった人たちがカウンセリングを受けて自己肯定感が回復していく過程で「もう自分は自己犠牲を払わなくて良いんだ」と気づいたとき、今度はその反動で対極にある『傲慢さ』が強く出てきてしまうのです。


まるで今まで押し込めていた自分の裏半分を取り戻すように…

なんかいじめの構造と似ていますね。

その結果いきなり、他者を見下したような上から目線の言い方をするようになったり、わがままな態度で自分だけ特別扱いしてもらいたがったり、他人の迷惑を考えずに自分の要求を当然のものと押し付けようとしたり、不機嫌さを露骨に出してみたりと、

それはもう周りが「あの人急にどうしちゃったの…」と驚くくらいの過剰な自己中心性を発揮したりするのです。


(悲しいことに、これは本人が子供時代、親にやられてきたことと同じことなのですが…)



「自分らしい振る舞い」とはバランスポイントに留まり続けること

一方で本人は、自分のやっていることが問題だとは気づいていません。

なんなら「私はやっと自由を取り戻した、ここからは自分らしく思うように(傲慢に)振る舞おう」と勇んでいたりします。

子供の頃に『わがまま』に振る舞うことを許されなかった人たちは、自己犠牲と傲慢のちょうどいい加減を学んでいないまま大人になっているため、

『自分らしくいること=相手に気を遣わずに感情を出して好き勝手に振舞うこと』と勘違いしてしまう人も多いのですが…


これは世間では『傲慢な人』または『幼稚な人』という印象を与える振る舞いです。



『自分らしくいること』とは、自分と相手の両方にとって心地よいバランスポイントをみつけ、いつもそのポイントにい続けることなのです。


(※このバランスポイントは人によって異なります。自己犠牲寄りの献身的な生き方が心地いい人もいれば、友達は少なくても自分のやりたくないことはやらないと決めて生きるのが幸せな人もいます)


そしてこれは、『他人の価値観で自分の価値を決めている』自己肯定感の低い人にとっては、とても難しいことに感じるでしょう。



『傲慢さ(自己中な考え方)』は精神的な成熟に至る通過点だけど…

『傲慢に振る舞ってみること』は心の成長には必要な経験です。

両極がわからなければ、バランスポイントを見つけることはできないのですから。

自己肯定感が低い人は、どちらかに大きく偏っていることが多いはずなので、これまで『自己犠牲』が強く出ていた人が一転『傲慢さ』を出しはじめたというのはいい兆候なのです。


一種のデトックス的なイメージを持ってもらえるといいかもしれませんね。

ようやく『バランスポイント』を学ぶチャンスが来たということです。


しかし問題は、大人になってから幼稚な傲慢さを発揮した人相手に『怒ってくれる親がいない』こと


普通の大人は、何もしらない子供が傲慢な振る舞いをしていたら注意しますが、傲慢な大人には「そうゆう態度はよくないよ」なんて注意してくれません。

その人がどうなろうと自分には関係なく、大人の傲慢さの代償はその人自身が引き受けるものだと決まっているからです。

(みんな自分自身の経験から、痛い目をみて自分で学ぶしかないことを知っているんです)

自分は自分、他人は他人。

精神的に成熟している大人は問題の切り分けができていますから、よっぽどの理由なく他人のセンシティブな部分に深く立ち入ろうとはしないものです。



リスクを背負って注意してくれた人を蔑ろにすると

人を怒ったり注意するのはリスクと膨大なエネルギーを伴います。


傲慢な人はそもそも本人に問題意識がないので、都合の悪い話は聞かないし、逆ギレされたり逆恨みされるかもしれません。

ひどい人だと、注意してくれた相手に対して「私に嫉妬してるんでしょう?」と言ったりするのもよく聞くパターンです。

(自分自身を否定された!と過剰反応してしまうのも、白黒思考の自己肯定感が低い人の特徴です)



そんなデメリットを背負ってまでわざわざ注意をしてくれる人は、本当にあなたを心配してくれている人でしょう。


それなのに感謝すべき相手に傲慢になり、逆ギレしてしまったりすれば、まともな人ほどそっと離れていきます。

そしてまわりに残るのは『自己肯定感の低い、自己犠牲を払う関係しか作れない、過去の自分のような人』ばかり。


(無意識に、過去の親子関係を今度は自分が搾取する側になって再現してしまいやすい)


そして本人は気づかないうちに、いつしか裸の王様みたいになってしまうのです。

これではせっかくの『バランスポイントを学ぶチャンス』も台無しですよね。



謙虚に受け止めて内省し、自分との関わり方を変えていく努力

繰り返しますが、心の成長過程では『自己犠牲』も『傲慢さ(自己中心性)』も経験する必要があります。

親など周りの人に注意されながら、行動を修正してちょうどいいバランスを学んでいくためです。

子供の頃にこの『傲慢さ』を発揮できなかった人は、大人になってあのころ学ぶはずだったことを追体験をしているようなもの。


ですから、もしあなたの振る舞いを注意してくれる人がいたら、(感情的には不快に感じたとしても)どうか真摯に受け止める努力をしてください。


また、「私はいま、子供みたいに傲慢になってないかな?」といつも自分を省みる謙虚な姿勢が大切です。

自己犠牲を脱したあとに傲慢になることがダメなのではありません。


他人に注意された際「否定された!傷ついた!」と防御や攻撃に転じるだけで、謙虚に受け止めようとしなければ、幼稚な大人のままの人生です。


そしてその姿勢こそが「自分らしく生きる」ことの足を引っ張っているという自覚をぜひ持って欲しいのです。

大人になったあなたを苦しめているのは親ではなく、自分自身との向き合い方なのだと。

「世界は自分中心に回っている」

「自分はみんなとは違って特別なはずだ」

こんな思い込みがどこかにあるのなら…


自分にしか関心がむかない中二病はもう卒業しましょう!

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自己肯定感が低い人は、基本的に『減点方式』で物事を捉えるため、完璧主義です。 そして完璧主義をこじらせてしまうと、挑戦ができなくなります。 挑戦とは『今の自分ではできなそうなことをやる』ときに使われるものですから、できないことをやれば失敗することの方が多いのは当然のはず。 しかし、物の見方が減点方式だと、失敗する(=減点される)ことが怖くなり、身動きができなくなってしまうのです。 そしてこういう人